これは、うちの子がまだ四歳だった頃の話です。
当時、私は育休中で、午後はよく近所の公園に連れて行っていました。
家から徒歩三分、道路を一本渡るだけの小さな公園です。
滑り台とブランコ、鉄棒に、奥の方には四角い砂場がありました。
その日もいつも通り、午後四時過ぎくらいに行ったと思います。
夏が終わりかけの時期で、陽はまだ残っていましたが、空はどこか鈍く曇っていたのを覚えています。
公園には私たちしかいませんでした。
子どもはひとりで砂場へ行き、私は少し離れたベンチに座って見守っていました。
スマホを見たり顔を上げたり、のんびりしていたんですが、ふと気づいたら――子どもが誰かと話しているように見えたんです。
相手は、いないはずなんです。
姿は見えない。でも、明らかに“誰かに向かって”しゃべっている。
笑いかけたり、頷いたり、時折小さく返事をしたり。
気味が悪いというよりは、最初は「誰かいたかな?」という程度の違和感でした。
でも、あたりには私たちしかいません。
試しに声をかけてみました。
「誰と話してるの?」
すると、砂をいじりながら、こちらを見ずにこう言いました。
「ゆうきくん、だよ」
「ゆうきくん? お友だち?」
「うん。ここにいるの」
そのとき、私はもう一度周囲を見渡しました。
がらんとした公園。風もないのに、ブランコのひとつだけが――ゆら、ゆらと揺れていました。
「……風じゃないの?」
思わず独り言のように言うと、子どもがぽつりと返しました。
「ゆうきくん、ブランコすきなんだって」
私はベンチから立ち上がり、砂場の方へ歩いていきました。
子どもは、砂の中にぐるぐると円を描いていました。
円の中には、小石で作った顔のようなものがいくつも並べられていて、見ていてなんとも言えない不快感がありました。
「これ、なに描いてるの?」
「ゆうきくんが教えてくれた“あそび”だよ」
子どもは楽しそうに笑っていました。
でも、私はその“あそび”が、普通の遊びに思えませんでした。
その日を境に、子どもの様子が少しずつおかしくなっていきました。
夜中に寝言を言うようになったんです。
「まだだよ」「いまはママがいるから」「かえしてくれないよ」
そんな言葉を、小さな声で繰り返していました。
昼間も、誰もいない場所に向かって手を振ったり、「いまからいくね」と話しかけたり。
怖くなって、「ゆうきくんって、どこにいるの?」と尋ねたことがあります。
そのときの答えが、忘れられません。
「すなばのなかにいるよ。でもね、かおだけなの」
「顔だけ?」
「うん。ほかのとこは、あそびすぎて、なくなったの」
私は何も返せませんでした。
返したくなかった、というのが正しいかもしれません。
それから、あの公園には行っていません。
特に何かがあったわけではありません。
ただ、ある日、子どもが唐突にこう言ったのです。
「もう、いったらだめなんだって」
「なにが?」
「ママがね、かえってこれなくなるから」
私はその言葉を聞いて、何も言えなくなりました。
そして二度と、その公園の名前を口にしないようになりました。
数ヶ月後、たまたま通りがかったとき、ふと公園の奥を覗いてしまいました。
砂場は、そのまま残っていました。
ただ、四隅に立っていたはずの柵がなくなり、なぜか中央だけが黒ずんで見えました。
近づくと、砂に描かれた跡がありました。
ぐるぐると巻いた線。中心には、小石と棒で作られた、雑な“顔”。
見つめていると、風もないのに、ブランコがまた――ゆっくりと、揺れはじめました。
私はそのとき、声も出せずに立ち尽くしてしまいました。砂場の向こう、ブランコの影の奥に――何かがいたんです。

長い髪で顔が隠れた、小さな人影。こちらに気づいたのか、ゆっくりと顔を上げました。
片目だけが赤く光っていて、口元は笑っていました。
でも、その笑顔に“子どもらしさ”は一つもなかった。
どこか、人のふりをした“何か”がこちらを試しているような、そんな目つきでした。
地面には、まるで髪のようなものが幾重にも広がり、砂の中へと吸い込まれていくように続いていました。
一歩でも近づけば、“あそび”が始まってしまう。
そんな確信がありました。
私は何も言わず、その場を離れました。
振り返らず、音も立てずに、ただ逃げるように歩きました。
そのときふと、子どもが言っていた“ゆうきくん”という名前。
実は――「遊鬼(あそびき)」だったのではないか」と思いました。
昔から“子どもを連れていくもの”として語られる、遊びに紛れた何か。
あれは、ただの空耳じゃなかったのかもしれません。
読んでくださりありがとうございます。
よければ応援クリックお願いします。