通学路の坂道は、朝になると生徒たちでにぎやかになる。
住宅地と学校を結ぶゆるやかな上り坂で、道幅は狭いが見通しは悪くない。
その日も、俺――中学二年の沢木は、いつものように坂を上っていた。
途中、下ってくる女子とすれ違った。
セーラー服の前を少しはだけさせて、猫背でスマホをいじっている。知らない顔だった。たぶん一年か、隣の学区の子かもしれない。
少し歩いたところで、またすれ違った。
今度も女子。さっきと似た髪型、似た制服。でも、目が妙に大きくて、無表情だった。スマホも持っていない。
「ん……?」と思って振り返ったが、もう後ろに姿はなかった。
坂の途中は、すれ違いざまの記憶があいまいになる。
上りと下りで目線がずれるし、朝は眠くて気が回らない。気のせい、だと思った。
三人目が現れたのは、坂の中腹を過ぎたころだ。
また女子だった。
前の二人によく似ていたが、よく見ると、口元が裂けたように笑っていた。笑ってはいるのに、目は死んだ魚のようだった。
なぜか、すれ違う瞬間、目が合った。ずっと俺の顔を見ていた。
寒気がした。夏なのに、ぞくりとした。
坂の上にたどり着くころには、汗が吹き出していた。
学校に着いても、なんだか落ち着かなくて、ホームルームの間も誰が前に立っていたか覚えていない。
昼休みに、隣の席の山岸に話してみた。
「なあ、今朝さ、変なやつに何人か会わなかった?」
「変なやつ?」
「坂道のとこで。すれ違った女子、なんか、同じやつが何度も出てきたような……」
山岸は首をかしげて言った。
「いや、誰ともすれ違ってないけど」
そんなはずはなかった。毎朝、下校する小学生とか、犬の散歩してるおっさんとか、必ず誰かしらいるのに。
その日は夕方から雨になった。雷が鳴り、薄暗い教室で補習を受けていたせいで、帰るころにはすっかり日が暮れていた。
傘を差して坂を下る。
さっきまでのにぎやかさが嘘のように静かだった。
途中、誰かが登ってきた。
傘をさした女子だった。顔が見えない。
すれ違いざま、強い風が吹いて、彼女の傘が裏返った。
その瞬間、顔が見えた。
一人目の女だった。スマホを持って、猫背で、虚ろな目をしていた。
はっとして振り返ると、彼女はもういなかった。
さらに進むと、道の真ん中に一人の女が立っていた。
傘も差さず、制服はびしょ濡れで、髪が顔に張りついていた。
近づくにつれて、その顔がはっきり見えた。

瞳は開ききっていて動かず、唇の端は信じられないほど裂けていた。
血色のない頬が引きつって、歯ぐきまで丸見えの笑みを浮かべていた。
雨の音すら遠のいた。
その目が、まっすぐ俺を見ている。瞬き一つしない。
全身が凍りついた。
声も出ないまま、俺は足をもつれさせて逃げ出した。足がもつれる。視界がにじむ。
息を切らしながら、ようやく坂を下りきった。角を曲がると、自分のアパートが見えた。
鉄骨二階建ての、見慣れた建物。その玄関前に、一人の女子が立っていた。
見覚えのある顔だった。
一人目の、猫背の女。
「……おい」
呼びかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
だが――顔が、なかった。
目も鼻も、口も、何もなかった。
まっさらな皮膚の面だけが、こちらを向いていた。
次の瞬間、視界が真っ暗になった。
気づいたら、布団の中だった。天井の木目が見えた。自分の部屋だった。
母親が心配そうに覗き込んでいた。
「玄関の前で倒れてたのよ……傘もささずにびしょ濡れで……靴も脱がずに……何があったの?」
夢じゃなかった。
次の日は、雨が止んでいた。
それでも坂道を歩くのが怖かった。
でも、通らないわけにはいかない。
恐る恐る、学校に向かう。誰にも話せないまま、昨日のことが頭を離れなかった。
坂の中腹で、前から誰かが下ってきた。
女子だった。セーラー服で、スマホをいじっていた。
一歩近づくごとに、何かがおかしいと気づいた。
髪型、制服、歩き方――全部、俺そっくりだった。
すれ違いざま、顔が見えた。
それは、まぎれもなく俺の顔だった。
鏡でも写真でもない。俺が、俺の顔をした女として、そこに歩いていた。
その“俺”は、ゆっくりと口元を吊り上げ、裂けたような笑みを浮かべて通り過ぎた。
声は出なかった。足がすくんで、振り返ることもできなかった。
ただひとつだけ確かにわかった。
俺はもう、すれ違う側じゃなく、現れる側になってしまったんだ。
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