掃除当番の終わり際、私は最後に女子トイレの床を拭いていた。
水気を含んだ雑巾をしっかりと絞り、隅から隅まで滑らせる。
ワックスの匂いと、古い排水口の生臭さが混ざった空気が、狭い空間に滞っている。
廊下の向こうでは、ほかの当番がバケツを片づけている音が聞こえる。
ここを終わらせれば、今日の当番は解放だ。
床は水気を帯び、照明を映して白く光っている。
最後の一拭きをして、雑巾を持ち上げたとき――。
……足跡があった。
床の光沢に濡れた輪郭が浮かんでいる。
裸足の形。小さくもなく、大きくもない。
女子のそれにしては妙に形が整っていた。
「……え?」
反射的に振り返る。
個室はすべて開いていて、人影はない。
足跡は、入り口から一歩だけ内側に踏み込んだところで止まっていた。
私はそこをもう一度拭いた。
水気を雑巾が吸い取って、輪郭は消えた。
終わり。
そう思って雑巾を洗おうと背を向けた瞬間、またそこに、同じ形の足跡があった。
さっきより半歩分だけ前に進んでいる。
心臓がざわつくのを感じながら、私はそれを再び拭き取った。
何度拭いても乾かぬかのように、すぐ足跡がにじむ。
「……誰か、いるの?」
声に応える気配はなかった。
ただ、換気扇の低い唸りだけが続いている。
三度目に拭き取ったとき、足跡はもう二歩分、奥へ進んでいた。
その向きは、まっすぐ私の立つ位置へ。
私は後ずさりし、廊下へ逃げ出すことを考えた。
でも、出口は足跡の延長線上。
通り抜けなければ帰れない。
足跡は、拭けば拭くほど近づいてくる。
四歩目、五歩目……
湿った輪郭が床にくっきりと浮かび、私の影の端を踏みそうになる。
膝が震えて、雑巾を持つ手から力が抜けそうだ。
私は奥の個室へ逃げ込むように下がった。
そこで膝を抱え、扉の隙間から床を見た。
蛍光灯の光に濡れたタイルが鈍く反射し、そこに足跡が増えていく。
足跡は七歩目まで、はっきりと続いていた。
その先に――足があった。
濡れた素足が二本、きちんと床に立っている。
だが、その上には何もなかった。
足首から先は空白で、脚も胴も頭も存在しない。
あるのは、濡れた素足だけ。

私は呼吸を止めて見つめた。
素足は動かず、ただそこに在り続ける。
けれども床にはさらに足跡が増え、私の方へ迫ってきた。
やがて足跡は、目の前で止まった。
素足も、影も、音もなく。
私は雑巾を放り出し、廊下へ逃げた。
だが走り出した瞬間、靴の中が妙に冷たいことに気づいた。
視線を落とす。
自分のスニーカーの足元から――濡れた足跡が続いている。
それは、拭いても消えない。
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