山に囲まれた農村に、夫婦が移り住んだ。
都会の喧騒を嫌い、静かな暮らしを求めての決断だった。借り受けた家は古く、隣接する納屋には古道具や農機具が乱雑に置かれていた。
納屋の天井に、不自然なものが目に入ったのは越してきて数日後だった。
煤けた梁の一角に、茶色くひび割れた紙や木のようなものが貼り付けられている。
よく見るとそれは、猿を模した面だった。吊るすのではなく、逆さに貼りつけるようにして天井に固定されている。
妻は嫌悪を示した。
「なんか気持ち悪いね。これ……」
夫は笑って取り繕った。
「昔のまじないか何かだろう。放っておけばいいさ」
その夜、夫婦は布団に入った。闇の中で、かすかな音が響いた。
――トタタタタ……トタタタ……。
屋根裏を走り回るような足音。ネズミか、イタチだろうと夫は言った。だが妻は耳を塞ぎ、小さく震えていた。
翌晩も、さらにその次の晩も、音は続いた。規則的で、時に布団の真上を横切るような生々しい響きがあった。
「やっぱりおかしいよ。納屋のあの面、関係あるんじゃない?」
妻の声は怯えで掠れていた。
「馬鹿な……」
夫は否定したが、自分の心臓が早鐘を打っていることを悟った。
決定的だったのは四日目の夜。
音は屋根裏から寝室へと移ってきた。
確かに、天井のすぐ下を何かが這い回る気配があった。壁がわずかに軋み、埃が舞った。
妻は泣き声をあげた。
「もう無理! あの面、剥がして!」
翌朝、夫は納屋に上がり、脚立を立てた。
天井に貼り付けられた猿の面は、乾いた木のようにひび割れていた。だが、どこか歪んだ笑みを浮かべているように見えた。

手を伸ばし、面を剥がすと、裏から赤黒い糸のようなものがずるりと垂れた。
古びた血の塊のようにも見えた。吐き気を堪えながら夫は面を地面に投げ捨てた。
その夜。
足音は止まらなかった。いや、逆に増えた。
――トタタタタ……トタタタ……ドドドドド……。
屋根裏を埋め尽くすように、何十もの足音が駆け巡った。笑い声のような、鳴き声のような音が混じり始めた。
妻は布団の中で嗚咽した。
「剥がしたから……出てきたんだよ……」
夫は返事をしなかった。
天井板の隙間から、乾いた毛の束が覗き落ちてきていたからだ。
翌日、夫婦は納屋に戻り、床に捨てた面を探した。
だが、どこにも見当たらなかった。代わりに天井には、新たに張り付いた複数の猿の面があった。
歪んだ笑みの群れが、二人を見下ろしていた。
その夜以降、夫婦の姿を村で見ることはなくなった。
納屋からは、夜ごと獣の走る音と、甲高い笑い声だけが響くようになった。
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