ばあちゃんの家の裏に、苔むした古井戸がある。
小さい頃から「絶対近寄るな」って言われてた。
理由を聞いても「口を出すな」で終わる。
その井戸、不思議なことにいつ覗いても水がいっぱいに溜まってるんだ。
夏でも干上がらず、雨のあとでも濁らない。
まるで鏡みたいに、表面だけが異様に平らなんだよ。
今年の夏、退屈しのぎにその井戸まで行ってみた。
丸い石の蓋は少しずれてて、草の影から中がのぞけた。
ガラス玉を転がして遊んでたら、コロンと縁に当たって止まる。
拾おうとした瞬間、中から声がした。
「ねえ、こっち来なよ」
子供の声だった。
しかも妙に聞き覚えがある。俺の声に似てた。
石をずらして覗き込むと、水面に顔が浮かんでいた。
色の抜けたような古い布切れをまとった子供。
体は薄暗いのに、顔だけがやけに鮮明に浮かんでいる。
にやっと笑って、手を差し伸べてきた。

「助けてあげる。怖くないよ」
気づいたら俺は身を乗り出してて、落ちかけた瞬間、冷たい手に捕まれた。
ぐいっと引っ張られて、水の中に引きずり込まれた感覚——でも苦しくない。
ただ、隣でその子供が笑っていた。
「上に戻ろう。代わりは必要だから」
気がついたら、俺は井戸の縁に押し出されていた。
咳をして、草の匂いを吸い込む。助かった。
安堵したその時、目の前にもう一人の“俺”が立っていた。
そいつが俺のガラス玉を拾い上げ、ポケットにしまう。
「これでこの家も栄える」
そう言って笑った。声も仕草も、俺と同じ。
その背後で、ばあちゃんが嬉しそうに手を合わせている。
「ありがたいねぇ……座敷童が来てくれた」
俺は必死に声を出そうとするけど、喉の奥から水の匂いしか広がらない。
手を伸ばしても、ばあちゃんの目にはもう俺は映ってない。
井戸を振り返ると、満水の水面が鏡みたいに揺れていた。
そこには“地上の俺”と“ばあちゃん”が映っていて、笑い合っていた。
暗い水面に映るその笑顔が、俺のものじゃないと分かった時、背筋が冷えた。
——座敷童は家を繁栄させる。
けど、その代わりにひとり、子供が“沈む”。
だから井戸はいつも水でいっぱいなんだ。
誰かの居場所を写すために。
「今度は、おまえがここに住む番だよ」
耳元で、俺の声が重なって囁いた。
冷たい水が喉いっぱいに広がって、もう何も言えない。
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