美術室に入った瞬間、白い粉の匂いが鼻に刺さった。
放課後の光が西窓から斜めに射し込み、部屋の中央に並ぶ石膏像の列を赤く染めている。
「先生、今日もデッサンでいいですか?」
生徒のひとりが声をかけてきた。教育実習三日目の僕は、まだぎこちなく微笑みながら頷いた。
「うん、今日はこの胸像を中心に描いてみようか」
生徒たちはそれぞれスケッチブックを広げ、鉛筆を走らせ始めた。
僕は教室の隅に立って見回していたのだが、ふと石膏像の顔を見た瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
──どこか、自分に似ている。
いや、ありふれた顔だ。鼻筋も口元も、石膏の表情は無機質で個性などないはずだ。それなのに、妙に既視感がまとわりついて離れない。
「……気のせいだ」
小さく呟いて、首を振った。
次の日も、またその石膏像を題材にデッサンさせた。
生徒のひとりが出来上がったスケッチを僕に差し出したとき、思わず言葉を失った。
鉛筆の濃淡で描かれた顔立ちは──僕の顔だった。
「上手いな……すごく、リアルだ」
笑顔を作ったつもりだったが、声は震えていた。
生徒は得意げに笑った。
「だって先生に似てるなって思って」
胸の奥がざわついた。冗談だろう。
だが別の生徒が描いたスケッチも、また別の生徒の紙にも──そこには同じ顔が浮かんでいた。
三日目。僕はとうとう美術室に入るのが怖くなっていた。
だが実習は続く。仕方なく足を踏み入れた瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。
石膏像の顔が、昨日よりもはっきりと僕に似ている。頬の線、唇の形。眼窩の奥から、じっと見下ろしているような気配がした。
「先生、体調悪いんですか?」
生徒に声をかけられ、慌てて首を振った。
「いや、大丈夫。続けて……」
手元のスケッチを覗き込む。そこに描かれているのは──口を半開きにして笑う僕の顔。
昨日までは無表情だったのに、今日は明らかに「笑っている」。
「……どうして、この顔に?」
生徒はきょとんとした。
「え? だって最初からこうですよ。先生の顔が浮かんできて……」
背筋が凍りついた。
夕方。生徒が全員帰ったあと、美術室にひとり残った。
沈み込む夕陽の赤が窓を染め、影が長く伸びている。石膏像の前に立ち、震える声で問いかけた。
「……お前は、誰なんだ」

無機質なはずの顔が、ゆっくりと笑ったように見えた。目が合った。血の気が引いた。
僕は慌てて視線を逸らし、ドアへ駆け出した。が、ノブに手をかけた瞬間、背後から声が響いた。
「先生、どこに行くんですか」
振り返ると、教壇の前に生徒たちが立っていた。皆が一斉にスケッチブックを掲げている。そこに描かれているのは、血の気のない顔をした僕自身。
「やめろ……!」
次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。気づけば僕は美術室の中央に立っていた。全身が石のように固く、動かせない。
足元に散らばる石膏の欠片。腕を動かそうとするが、動かない。冷たい表面。
──僕は、石膏像になっていた。
翌朝、美術室に入った教師が、奇妙に生々しい顔を持つ新しい石膏像を見つけたという。
だがそれを不思議がる者はいなかった。生徒たちは当然のように、その像を題材にスケッチを始めた。
スケッチブックの上に並ぶのは、全員同じ顔。
昨日まで教育実習に来ていた、あの若い実習生の顔だった。
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