市立図書館の三階、誰も足を向けない奥まった一角に、その書棚はあった。
大学生の俊介は、レポートの資料を探していて偶然その場所を見つけた。古い木製の書棚には、背表紙の文字がかすれて読めない本ばかりが並んでいる。
「立入禁止」の札が掛かっているが、好奇心が勝った。
手に取った一冊は、表紙に何も書かれていない黒い本だった。ページを開くと、美しい装丁とは裏腹に、奇妙な文章が始まっていた。
『この本を読む者は、夜ごと夢の中で続きを読むことになる。読み終えるまで、永遠に』
俊介は苦笑いを浮かべた。まるで呪いの本のような書き出しだ。しかし、その後に続く物語は異様に引き込まれるものだった。
主人公は俊介と同じ大学生で、同じようにこの本を見つけたという設定だった。物語の中の青年は、毎夜夢の中で本の続きを読み、やがてその内容が現実と混同し始める。
時計を見ると、閉館時間が迫っていた。
俊介は本を元の場所に戻し、図書館を後にした。その夜、彼は鮮明な夢を見た。
夢の中で、俊介は再び図書館にいた。三階の奥で、あの黒い本を手に取っている。本の内容は昼間読んだ続きから始まり、物語の青年がどんどん現実と夢の境界を失っていく様子が描かれていた。
翌日、俊介は図書館に向かった。昨夜の夢があまりにリアルで、続きが気になって仕方がなかった。
しかし、禁書棚にあるはずの本は見当たらない。
「あの本、どこに行ったんだろう」
司書に尋ねても、そんな本は存在しないと言われた。俊介は混乱した。確かに昨日読んだはずなのに。
その夜も、また同じ夢を見た。
図書館で本を読んでいる夢。物語の青年が「これは夢ではない」と気づき始める場面だった。青年は必死に本を閉じようとするが、手が動かない。
三日目の夜、俊介は夢の中で気がついた。
物語の青年の顔が、自分の顔になっていることに。
「これは夢じゃない」
俊介は夢の中で叫んだ。しかし声は出ない。彼の手は勝手にページをめくり続ける。物語は彼が夢の中で本を読み続ける話になっていた。
現実と夢の境界が崩れていく。
俊介は昼間も朦朧とし始めた。友人は心配して声をかけるが、俊介には彼らの声が遠く聞こえる。まるで夢の中の出来事のように。
一週間後、俊介は再び図書館を訪れた。今度は三階ではなく、一階のカウンターに向かう。
「禁書棚の本について聞きたいことがあります」
年配の司書が振り返った。その瞬間、俊介の血が凍った。
司書の目が、まったく焦点を結んでいない。虚ろで、まるで眠っているような目だった。

「禁書棚? そんなものはありませんよ」
司書はゆっくりと首を振る。その動作があまりに機械的で、俊介は一歩後ずさった。
「でも確かに三階に...」
「三階には何もありません。あなたも夢を見ているのではありませんか?」
司書の声が、どこか遠くから聞こえてくるようだった。
俊介は慌てて図書館を出た。外の景色がぼやけて見える。人々の動きがスローモーションのように感じられる。
その夜、俊介は最後の夢を見た。
夢の中で、彼は本の最終ページを読んでいる。そこには衝撃的な真実が書かれていた。
『この物語を読んだ者は、現実と夢を永遠に彷徨い続ける。読者よ、君もまた物語の一部となったのだ。君が今読んでいるこの文章も、夢の中の出来事かもしれない』
俊介は本を閉じようとした。しかし、ページは勝手にめくれ続ける。
最後のページに、新しい文章が現れ始めた。
『新たな読者が現れた。大学生の俊介は、図書館で一冊の黒い本を見つけた...』
俊介は理解した。物語は永遠に続く。彼の体験が新しい物語となり、次の読者を待っているのだ。
翌朝、俊介の部屋で友人が彼を見つけた。
俊介は机に突っ伏して眠っていた。いくら揺すっても起きない。呼吸はしているが、まるで深い昏睡状態のようだった。
病院に運ばれた俊介の診断は「原因不明の意識障害」。
医師は首をかしげた。脳波は正常だが、まるで深い眠りについているような状態が続いている。
俊介の枕元には、誰が置いたのか分からない黒い本が置かれていた。
看護師がそれに気づき、本を手に取った。表紙には何も書かれていない。
好奇心から最初のページを開いてみる。
『この本を読む者は、夜ごと夢の中で続きを読むことになる。読み終えるまで、永遠に』
看護師は薄気味悪く感じて本を閉じたが、その夜、彼女は鮮明な夢を見ることになる。
夢の中で、彼女は市立図書館の三階にいた。
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