練習が終わり、バレー部の九人が更衣室に流れ込んできた。
いつものように笑い声が響く。汗の匂いと制汗スプレーの甘い香りが混じり合う、この時間が私は好きだった。
壁一面の鏡の前で、みんなが思い思いに着替えを始める。
「今日のスパイク、最高だったよ」
「ありがとう。でも最後ミスったけどね」
何気なく鏡を見た瞬間、私は数を数えていた。
一、二、三、四、五、六、七、八、九……十。
心臓が一度、大きく跳ねた。
もう一度数える。確実に、十人いる。でも私たちは九人のはずだ。
「ねえ」
私の声は震えていた。
「鏡、見て」
「何?」
先輩が振り返る。他のメンバーも次々と鏡を見た。
「十人いる」
誰かが呟いた。
更衣室が静まり返る。私たちは横一列に並び、鏡の中の自分たちを凝視した。
全員が映っている。でも確かに一人多い。
「誰?」
「誰が余計なの?」
パニックになりかけた時、私は気づいた。
左端にいる"私"が、笑っていない。
いや、正確には表情がない。他の全員が恐怖で顔を歪めているのに、その"私"だけが無表情で、まっすぐこちらを見ている。
「あれ、私じゃない」
私は声を絞り出した。
その瞬間、鏡の中の"それ"と目が合った。
体が動かない。
金縛りのように、筋肉が硬直する。周りの声が遠くなる。
「大丈夫? どうしたの?」
誰かが私の肩を揺する。でも私は"それ"から目を離せない。
"それ"がゆっくりと口を開いた。
鏡の中だけで。
音は聞こえない。でも唇の動きではっきりと分かった。
『見つけた』
悲鳴が上がった。
誰かが電気のスイッチを消した。真っ暗になった更衣室で、私たちは叫び、もつれ合いながらドアへ殺到した。
ようやく外に出て、廊下の明かりの下で私たちは荒い息をついた。
「もう大丈夫だよ」
先輩が震える声でそう言った。
「ただの見間違いだったんだよ、きっと」
私たちは頷き合った。そうだ、見間違いだ。疲れていたんだ。
でも教室に戻る途中、トイレの鏡の前を通りかかった時。
私は見てしまった。
鏡に映る自分の隣に、もう一人の"私"が立っている。
無表情で。
じっと、こちらを見ている。
振り返っても、そこには誰もいない。
鏡の中だけに、"それ"はいた。
「ねえ、大丈夫?」
後ろから声をかけられて振り向くと、先輩が心配そうに覗き込んでいる。
でも鏡を見ると、先輩の隣にも"もう一人"が立っていた。
無表情で、私たちを見ている。
「先輩、鏡……」
私が指差そうとした瞬間、先輩の顔から血の気が引いた。
先輩も気づいたのだ。
私たちは走った。階段を駆け下り、玄関を飛び出した。
外は夕暮れで、オレンジ色の光が校舎を照らしている。
「もう平気だよ」
先輩が言った。
「外に出たから。もう大丈夫」
でも校舎のガラス窓に、私たちの姿が映り込んでいた。
二人の隣に、"二つ"の影が寄り添っている。
無表情で、じっと私たちを見つめている。
そして今、私は自分の部屋にいる。
あれから一週間が経った。
もう大丈夫だと、自分に言い聞かせている。
でも部屋の鏡を見るたびに、"それ"がそこにいる。

黒目だけの虚ろな目で、私を見ている。
振り返っても、誰もいない。
鏡の中だけに、"それ"は存在する。
そして今日、気づいてしまった。
"それ"は、少しずつ私に近づいている。
毎日、ほんの少しずつ。
鏡の中で。
もうすぐ、"それ"は私と重なる。
その時、何が起こるのだろう。
私はもう、鏡を見ることができない。
でも見なくても、感じる。
背後に、"それ"がいる気配を。
今も。
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