僕が学校に行かなくなって、三ヶ月が経っていた。
親も先生も、もう諦めたように何も言わなくなった。部屋に閉じこもって、ただ時間が過ぎるのを待つ日々。そんな生活に、嫌気がさしていた。
ある日の夕方、ふと思い立って学校に向かった。誰もいない時間を狙って。
正門を避けて、裏手の壊れたフェンスから校庭に入る。陽が傾きかけた空の下、誰もいない校庭はひどく静かだった。
校庭の片隅、体育倉庫の影になった場所に、古い机と椅子がぽつんと置かれていた。
ペンキが剥げ、天板には無数の落書きと傷。誰が置いたのか、いつからあるのか、わからない。廃棄されるのを待っているだけの、忘れられた家具。
なぜか足がそちらに向いた。
椅子を引いて、座った。
その瞬間、世界が止まった。
風が止まった。雲が止まった。遠くで鳴いていたカラスの声が、ぴたりと途切れた。
まるで時間が凍りついたように、すべてが静止している。
僕だけが動ける。僕だけが、この止まった世界の中にいる。
奇妙な感覚だった。でも、怖くはなかった。むしろ、心地よかった。
誰も僕を見ない。誰も僕に話しかけない。誰も僕を必要としない。
完璧な孤独。
僕はそのまま座り続けた。どれくらいの時間が経ったのか、わからない。止まった世界では、時間の感覚が失われていく。
やがて、少し飽きてきた。
立ち上がろうとした。
立てなかった。
体が、椅子に張り付いたように動かない。腕も、足も、まるで見えない糸で縛られているように、ぴくりともしない。
焦りが込み上げてくる。必死に体を動かそうとするが、首から下がまったく言うことを聞かない。
そのとき、足音が聞こえた。
「あ、やっぱり誰かいる」
女子生徒の声だった。振り向くこともできないが、気配で二人いることがわかる。
「え、あそこにいるのって…」
「ほんとだ。何してるんだろう」
彼女たちは近づいてきた。僕のすぐ横まで来て、顔を覗き込む。
「ねえ、大丈夫?」
返事をしようとした。でも、声が出ない。口が動かない。
「なんか、変だね」
「先生呼んでくる?」
彼女たちの声が聞こえる。でも、僕の声は届かない。
必死に目を動かして、助けを求めようとした。でも、彼女たちの視線は、僕を素通りしている。
まるで、透明人間を見るように。
「でも、誰もいないよね」
「うん。気のせいかも」
彼女たちは首を傾げて、去っていった。
僕は、ここにいるのに。
それから、何人もの生徒が通り過ぎた。先生も来た。でも、誰一人として、僕に気づかなかった。
みんな、机の前を素通りしていく。
ある生徒は、僕の体を避けるように歩いた。まるで、そこに"何か"があることを本能的に感じているように。でも、僕を見ることはない。
夜になった。校庭に明かりが灯る。
翌朝、また生徒たちが来た。
僕は、ずっとここにいる。
動けない。声も出せない。誰にも気づかれない。
机に座ったまま、ただ時間だけが過ぎていく。
いや、違う。
時間は止まったままだ。
動いているのは周りの世界で、僕だけが取り残されている。
何日が経ったのか、何ヶ月が経ったのか、もうわからない。
ある日、業者が来た。校庭の整備をするらしい。
「この机、まだあったのか。さっさと処分しないと」
男は机に近づいた。
天板に手をかける。
僕の目の前に、男の顔がある。
でも、男は僕を見ていない。
机を持ち上げようとして、男が顔をしかめた。
「重いな。何か挟まってんのか?」
違う。僕が座ってるんだ。僕がいるんだ。
男は机を揺すった。僕の体も一緒に揺れる。でも、男には僕が見えない。
「変だな」
男は首を捻って、机を元の位置に戻した。
「まあ、いいか。また今度」
男は去っていった。
机は、また片隅に置かれたままになった。
僕を乗せたまま。
もう、誰も来ない。
季節が変わった。雨が降った。雪が降った。また春が来た。
校庭の片隅で、古い机と椅子は朽ちていく。

そこに誰かが座っていることに、誰も気づかない。
誰も。
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