幽霊博士の実験記録──AIが綴るショートホラーと恐怖作品紹介

「ホラー小説×AI創作」──AIが綴る怪談短編と、恐怖を解剖する作品紹介。

妖異抄#09「旅館の女郎蜘蛛」

佐藤は「奥湯の宿 糸屋」に着いたとき、すでに夜の十時を過ぎていた。

予約サイトには「山奥の秘湯 創業不明 口コミ数件」とだけあった。安かったから選んだ。それだけだった。

引き戸を開けると、女将が待っていた。

年齢がわからなかった。若くも老いてもなく、ただそこに存在していた。白い肌に黒い帯、動くたびに着物の袖が揺れた。袖口から伸びる指が、細すぎた。関節の数が、一つ多い気がした。

「お待ちしておりました」

その声は低く、どこかくぐもっていた。

案内された部屋は二階の奥だった。廊下を歩くあいだ、天井が低く、佐藤は何度か頭をかがめた。女将は一度も頭をかがめなかった。それでいて、天井に触れてもいなかった。

部屋に入ると、女将は振り返らずに言った。

「夜中に廊下へ出ないでください」

それだけ言い、障子を閉めた。

部屋は六畳。行灯が一つ。布団はすでに敷かれていた。卓袱台の上に茶と、小さな紙が置いてあった。

〈何があっても、天井を見ないでください〉

佐藤は紙を裏返した。何も書いていなかった。

筆跡は震えていた。インクではなく、茶色がかった何かで書かれていた。

誰が書いたのか。女将が置いたとは思えなかった。この部屋に以前泊まった誰かが、残していったものだろうと思った。

佐藤はその紙を卓袱台の端に置き、茶を飲んだ。

疲れていた。考えるより先に横になった。行灯を消し、目を閉じた。

眠れなかった。

静かすぎた。虫の声もない。雨の音もない。建物が軋む音すらしなかった。その沈黙が、じわじわと重くなっていった。

気づいたとき、佐藤は天井を見ていた。

暗くて何も見えない。当然だ。だがその暗闇に、何かがいる感覚があった。面積のある、重さのある、こちらを見ている何かが。

佐藤は目を逸らした。

壁を見た。床を見た。どこを見ても、視線が天井へ引き戻された。

しかたなく、また天井を見た。

暗闇の中に、光沢があった。

天井一面に張られた糸が、行灯の消えた部屋でわずかに光っていた。規則的で、幾何学的で、美しいとさえ思った。その中心に、穴があった。

穴の縁から、脚が出ていた。

長く、黒く、体の割に細い脚が、八本。穴の縁をゆっくりと撫でるように動いていた。急がなかった。焦っていなかった。ただ、待っていた。

 

 

穴の奥に、目があった。

八つ、並んでいた。

佐藤は声を上げることができなかった。体が動かなかった。ただ目だけが動いて、その八つの目と、視線が合った。

目が、細くなった。

笑っているように見えた。

次の瞬間、廊下から声がした。

「今すぐ窓から逃げてください」

若い女の声だった。切迫していた。しかしどこか遠く、壁の向こうから聞こえるような、薄い響きだった。

「一階まで飛んでも怪我はしない。お願い、今すぐ逃げて」

懇願する声だった。泣いているようでもあった。

佐藤の体が動いた。布団から出て、窓に手をかけた。外は暗かったが、木々の輪郭が見えた。高さは三メートルほど。飛べる。

窓を開けた。冷たい夜気が入ってきた。

廊下の声が続いた。

「私は逃げられなかった。あなただけでも」

その言葉の意味を、佐藤は考えなかった。

考える前に、天井から女将の声がした。

「どこへ行くんですか」

甘い声だった。引き止めるのではなく、ただ問いかけるような、穏やかな声だった。

「せっかく来てくれたのに」

佐藤は窓枠に手をかけたまま、動きを止めた。

廊下の声がもう一度聞こえた。

「逃げて。私みたいになる前に」

なのに佐藤は、窓を閉めた。

なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。女将の声が怖かったわけではなかった。むしろ逆だった。あの声を聞いた瞬間、全身から力が抜けて、怖くなくなった。

廊下の声が途絶えた。

諦めたのか、あるいは、もう届かなくなったのか。

布団に戻った。横になった。目を閉じた。

天井から、細い何かが顔に触れた。

糸だった。

一本ではなかった。

何本もの糸が、ゆっくりと、丁寧に、顔の輪郭をなぞるように巻かれていった。急がなかった。乱暴でもなかった。まるで、大切なものを包むように。

佐藤は抵抗しなかった。

できなかったのか、しなかったのか、自分でももうわからなかった。

翌朝、「糸屋」に電話が入った。

佐藤の家族からだった。昨夜から連絡が取れない、そちらに泊まっているはずだが、と。

女将は答えた。

「昨夜は、どなたもお泊まりになっておりませんでしたよ」

受話器の向こうで、沈黙があった。

女将は続けた。

「ただ、今夜でしたら、ちょうどお部屋が空いておりますが」

その夜、二階の奥の部屋の廊下から、声が聞こえた。

「今すぐ窓から逃げてください」

声は二つになっていた。

そのうちの一つは、今朝まで、佐藤の声だったものだ。


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