放課後の廊下は、いつも少しだけ静かすぎる。
部活のない西村颯太は、誰もいない昇降口を抜けて通学路へ出た。今日も何もない一日だった。テストも返ってきたし、友達とも軽く話した。ふつうの、なんでもない火曜日。
通学路の途中にある掲示板の前を、颯太は毎日通り過ぎる。
市の広報とか、地域の行事案内とか、古びたチラシが重なって貼られているあの掲示板。見たことも、ちゃんと読んだこともない。

でも今日は、なぜか足が止まった。
白い紙が、一枚だけ新しく貼られていた。
他のチラシとは明らかに違う、まっさらな白地に、明朝体の黒い文字。颯太はなんとなく目を向けて、そして固まった。
**○○市立第三中学校 校内告知**
*追悼式のお知らせ*
日時:令和7年5月20日(火) 午前10時より
対象:全校生徒・職員
西村颯太君(2年3組)の急逝を悼み、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
颯太は三回、読み返した。
名前が、自分の名前だった。
クラスも、合っていた。
日付は、来週の火曜日だった。
喉の奥で何かが詰まる感覚がした。笑おうとしたけれど、口の端が引きつるだけだった。いたずらだ、と思った。そう思いたかった。でも、学校名も学年もクラスも、全部正確だった。
颯太はスマートフォンを取り出し、紙を撮影した。手が震えていた。
それから、もう一度だけ紙を見た。
印鑑が押されていた。学校の公印、三角の枠に入った、颯太も何度か見たことのある、あの印鑑が。
その夜、颯太は眠れなかった。
布団の中でスマートフォンの画面を見つめ続けた。撮った写真を何度も拡大した。フォントも、レイアウトも、学校から配られるプリントにそっくりだった。
いや、そっくりじゃない。同じだった。
担任の先生に言うべきか迷った。でも、なんて説明する? 自分の追悼式の知らせを見つけた、なんて言ったら笑われる。頭がおかしいと思われる。
親には、言えなかった。心配させたくなかった。
颯太は最善の判断を下した。
翌朝、いつもより早く家を出て、掲示板に向かった。自分の手でその紙を剥がした。証拠を消せば、何も起こらない気がした。根拠はなかったけれど、そうするべきだという確信があった。
紙はあっさり剥がれた。
颯太はそれを四つ折りにして、通学路のゴミ箱に捨てた。
何も起こらなかった。
翌日も、その翌日も、颯太は生きて学校に行き、授業を受け、友達と話し、帰宅した。
5月20日の火曜日も、颯太は元気に目を覚ました。
午前10時に、自分がどこにいるか確認した。教室の自席。数学の授業中。先生が黒板に式を書いていた。隣の席の田中が消しゴムのかすを丸めていた。何もかも、ふつうだった。
颯太は、深く息を吐いた。
よかった。全部、ただのいたずらだった。
放課後、颯太はいつもの道を歩いた。掲示板の前を通り、そのまま家に帰った。
その三日後から、何かがおかしかった。
いつも一緒に帰る田中が、颯太に話しかけてこない。颯太のほうから声をかけると、田中は一瞬だけ硬直する。それからぎこちなく笑って、短く返事をして、早足で行ってしまう。
他のクラスメートも、なんとなく似たような反応をした。
担任の先生は、颯太の名前を呼ぶとき、ほんの少しだけ間を置くようになった。まるで、口にするのをためらうように。
颯太はそれを気のせいだと思った。思うことにした。
でもある朝、昇降口で上履きに履き替えようとして、颯太は手を止めた。
靴箱の奥に、折り畳まれた白い紙が挟まっていた。

新しい紙だった。まっさらな白地の。
颯太はゆっくりと手を伸ばし、その紙を取り出した。開こうとして、やめた。
そのとき、背後で誰かが言った。
「まだ入ってたんだ」
女子の声だった。
颯太が振り向くと、同じクラスの二人が立っていた。
こちらを見ているはずなのに、視線が合わない。
「先生、今日で片づけるって言ってたよね」
「うん。もう十分でしょ」
ひそひそ話す声は小さいのに、妙にはっきり聞こえた。
颯太は白い紙を握ったまま、上履きを履いて廊下を歩いた。今日も、なんでもない一日が始まっていた。
クラスメートたちは颯太を見ていなかった。先生も、颯太の席に目を向けなかった。
自分の席に鞄を置こうとして、颯太は止まった。
机の上に、白い花が置かれていた。
その横に、小さな写真立てがあった。
制服姿の自分が、笑っていた。
朝の会が始まり、担任が静かに言った。
「今日で西村の席は片づけます」
教室の何人かが、ほっとしたように息をついた。
颯太はそこで初めて、靴箱の白い紙を開いた。
**追悼式終了のご報告**
令和7年5月20日(火)午前10時より執り行われた西村颯太君(2年3組)の追悼式は、滞りなく終了いたしました。
生前のご厚誼に深く感謝するとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
その下に、手書きで小さく書き足されていた。
**「しばらく見えている生徒がいましたが、本日をもって通常対応に戻します」**
颯太だけが、何も気づいていなかった。
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