幽霊博士の実験記録──一話完結の現代怪談・短編ホラー集

「ホラー小説×AI創作」──AIが綴る怪談短編と、恐怖を解剖する作品紹介。

狂気譜#08「仲居の笑顔」

山あいの古い旅館に、田中幸子が仲居として働き始めて三ヶ月が経った。

築百年を超える「花結び旅館」は、廊下の板が軋み、夜になると山風が障子をかたかたと鳴らした。それでも幸子は気に入っていた。女将の梅野さんは口数が少ないが親切で、先輩仲居の房江さんはよく面倒を見てくれた。

ただ、一つだけ気になることがあった。

においだった。

旅館のある場所からは少し離れた谷の向こうに、火葬場がある。風向きによって、甘ったるい、脂の焦げたような臭気が漂ってくることがあった。最初は我慢できなかったが、三ヶ月も経つと慣れた。房江さんは「ここらはずっとそういうもんです」と言って、気にする様子もなかった。

ある晩秋の夜、幸子は遅い夕食の膳を運ぼうとして、廊下で足を止めた。

奥の十二号室から、においがする。

焦げた、甘い。あの臭気だった。でも今夜、風はない。

幸子は首をかしげながら、それでも膳を持って歩き出した。十二号室の客は、今朝チェックインしたばかりの老婆で、名前は「瀬川」と台帳にあった。

「失礼いたします」

障子を開けた瞬間、においが濃くなった。

瀬川と名乗った老婆は、布団の上に正座していた。白い着物を着て、両手を膝に揃え、微動だにしない。蝋燭の火のように静かだった。

幸子が膳を置こうとすると、老婆がゆっくりと顔を上げた。

顔が、なかった。

いや、正確には——あった。だが何かがおかしかった。鼻も口も目もある。でもそれが、顔として機能していない気がした。まるで顔の形をした何か別のものが、皮膚の内側に詰まっているような。

「ありがとうございます」

声だけは、普通だった。老婆らしい、かすれた声。

幸子は何も言えず、頭を下げて廊下へ出た。障子が閉まった途端、冷や汗が背中を伝った。でも考えてみれば何がおかしかったのか、うまく言葉にできない。疲れているのかもしれない。そう思うことにした。

翌朝、幸子は女将の梅野さんに報告した。

「十二号室のお客様、少し様子が変わっていらっしゃるように感じたのですが」

梅野さんは帳面に目を落としたまま、静かに言った。

「瀬川さんは、長逗留のお客様よ。あなたがここに来る前から、時々いらっしゃっているの」

「そうなんですか」

「失礼のないようにね」

それだけだった。梅野さんはそれ以上何も言わず、幸子もそれ以上聞けなかった。

その夜も、幸子は十二号室の膳を担当した。今度は房江さんも一緒だった。

房江さんは障子の前で一瞬、ほんの一瞬だけ——鼻をひくつかせた。

「房江さん、においしますよね」と幸子は小声で言った。

房江さんは幸子を見て、静かに微笑んだ。

「どんなにおい?」

「焦げた、甘いような……」

房江さんはゆっくりと首を横に振った。

「私には何もわかりません」

その言い方が、幸子には少し引っかかった。「においません」ではなく、「わかりません」。

十二号室の障子が、内側から開いた。

老婆が立っていた。昨夜と同じ白い着物。同じ表情のない顔。でも今夜は、その後ろに——もう一人いた。

幸子は目を凝らした。薄暗い部屋の奥に、小柄な影が座っている。女の人のように見えた。俯いていて、顔は見えない。

「あのう、お連れの方は……」

老婆は静かに首を横に振った。

「いませんよ」

部屋の奥の影が、ゆっくりと顔を上げた。

幸子は声が出なかった。

その顔は、幸子自身の顔だった。

青白く、ぼんやりとして、まるで水の底から見ているような。でも確かに、幸子の顔だった。

房江さんが幸子の腕をそっと引いた。

「行きましょう」

廊下に出て、障子が閉まった。幸子は震える声で言った。

「見ましたか、部屋の奥に——」

「何も見えませんでした」房江さんは静かに言った。「何も」

その夜、幸子は眠れなかった。自分の顔が、なぜあそこにあったのか。老婆は何者なのか。房江さんは本当に見えなかったのか。

明け方近く、ふと気がついた。

三ヶ月間、一度も体調を崩していない。疲れを感じることもほとんどない。お客様に「あなたは感じのいい仲居さんね」とよく言われる。女将には「あなたは向いている」と言われた。

——向いている。

幸子はゆっくりと起き上がり、枕元の手鏡を手に取った。

 

 

部屋は暗い。月明かりだけが、鏡の表面をぼんやりと照らしていた。

幸子は自分の顔を見た。

鼻も、口も、目もある。

でもそれが、顔として機能していない気がした。

まるで顔の形をした何か別のものが、皮膚の内側に詰まっているような——。

鏡の中の幸子が、先に笑った。
幸子はまだ、口元に力を入れていなかった。
それでも鏡の中の笑顔だけが、仲居らしく、やわらかく深くなっていく。
——ああ、と幸子は思った。
お客様が見ていたのは、ずっとこちらだったのだ。

廊下の板が、軋んだ。

ゆっくりと、こちらへ近づいてくる足音がした。

幸子はそれが誰なのかを、なぜかすでに知っていた。知っているのに、声が出なかった。逃げようとも思わなかった。

ただ鏡の中の顔を見つめながら、いつからこうだったのだろうと考えた。

谷の向こうから、甘いにおいが漂ってきた。


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