深夜二時を回ったころ、田中は空のコインパーキングにタクシーを滑り込ませた。
客を降ろしたばかりで、腹が減っていた。コンビニで買ったおにぎりを食べるだけの、五分間のつもりだった。
パーキングは郊外の国道沿いにある、二十台分ほどの小さな駐車場だ。深夜のこの時間、他に車は一台もいない。街灯がひとつだけ、黄ばんだ光を地面に落としている。
田中は白線の枠内にタクシーを止め、エンジンを切った。
おにぎりのフィルムを剥がしながら、ふと気づいた。
白線の外に、一台の車が停まっている。
正確には——白線のどの枠にも収まっていない。枠と枠のあいだ、アスファルトのど真ん中に、黒いセダンがぽつんと置かれていた。
「……なんだ、あれ」
駐車が下手なのか、それとも急いでいたのか。ナンバーは読めない。車内は暗く、人がいるのかどうかもわからない。
田中はおにぎりをひとくち齧り、それからドライブレコーダーの液晶に目をやった。
録画中を示す赤いランプが点滅している。いつも通りだ。
だが、画面の中の映像が——おかしかった。
フロントガラス越しに映る駐車場の風景、そこに写っているはずの黒いセダンが、画面には存在しなかった。
かわりに。
白線の上に、白い手が一本、置かれていた。
田中は目を細めた。画面を覗き込む。
手だ。間違いない。人間の左手が、まるで落とし物のように、白線の上にぺたりと横たわっている。
「……レコーダーの不具合か」
呟きながら、視線を上げ、フロントガラスの向こうの実際の駐車場を見る。白線の上には何もない。アスファルトだけだ。
もう一度、画面を見る。
手が、増えていた。
二本。三本。五本。
白線のあちこちに、白い手がぺたぺたと並んでいる。どれも切断されたような手で、ただそこに、置かれている。
田中の背中を、冷たいものが這い上がった。
おにぎりを助手席に放り出し、リアカメラの映像に切り替える。
後方の映像には——白線が一本も映っていなかった。

そのとき、無人の精算機から電子音が鳴った。
『白線の外は、駐車できません』
田中が振り向いたとき、精算機の表示は真っ暗だった。
かわりに、白い手が、びっしりと。
路面を埋め尽くすほどの数の手が、指先をこちらに向けて、並んでいた。
田中は悲鳴を飲み込み、エンジンをかけた。今すぐここから出なければ、という本能だけが体を動かしていた。
ギアをバックに入れ、アクセルを踏む。
タイヤが空回りする感触があった。
妙だ、と思う間もなく、車体が——沈んだ。
後輪から、ずるり、と。まるで柔らかい泥に嵌まり込むように。
田中はパニックのままアクセルを踏み続けた。タイヤが唸る。車が揺れる。だが後退しない。前にも進まない。
ドライブレコーダーの画面が、真っ白になった。
白い、手で、埋め尽くされた。
田中は叫びながらドアを開け、外に飛び出した。
そして、気づいた。
白線の外に出ていた。
気づいた瞬間、足元のアスファルトが、音もなく消えた。
翌朝、パーキングの管理会社のスタッフが確認に来た。
精算機のエラーログを調べるためだった。
駐車場に、車は一台もなかった。
白線はすべて、きれいに引かれていた。
ただ——白線と白線のあいだに、タクシーのものらしき鍵が、一本だけ落ちていた。
白線の外に。
管理スタッフはそれを拾い、事務所に持ち帰り、忘れ物台帳に記入した。
持ち主が取りに来ることは、なかった。
タクシー会社への失踪届が受理されたのは、三日後のことだった。警察は防犯カメラの映像を確認しようとしたが、深夜二時から朝にかけての録画データだけが、なぜか真っ白に飛んでいた。
映像の最後の一コマだけが、辛うじて残っていた。
駐車場を上から映した、固定カメラの静止画。
白線の外。アスファルトのど真ん中。
そこに、黒いタクシーが、ぽつんと停まっていた。
白線のどの枠にも、収まらない場所に。
そして——車内に、無数の白い手が、びっしりと張り付いているのが、見えた。
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